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伊豆韮山 本立寺 [神社仏閣]

昨日 会社の帰りに家庭菜園に寄り道して ジャガイモの株を1株2~3本に間引きしました。 そおすることでジャガイモの粒が大きくなるそうです。畑仕事を終えてから ホ-ムセンタ-に寄って今日植え付ける スイカ2株、枝豆3株 トウモロコシ2株、キュウリ2株、サニ-レタス2株を買いました。サニ-レタスは家のプランタ-に植え付けました。すぐ大きくなるので食べたいときに採って食べれるので野菜専用プランタ-に植え込んでおくと便利ですよ。


今日の記事は 伊豆韮山に行った時、ブロガ-の馬爺さんから教えて頂き訪れた 江川太郎左衛門の江川家菩提寺の 日蓮宗本山 本立寺 になります。


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韮山 江川邸から 田んぼを挟んで 向かいの山すそに 本立寺 は建ってます。
江川邸からも望むことが出来る位置にあります。
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正式名称は 日蓮宗本山 大成山 本立寺 と表し
山門には 大成山 の扁額が掲げられてます
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訪れた4月13日は桜が見ごろで
山門周辺の桜が見事でした。
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本立寺の言われによると 1261年(弘長元年)、伊豆(伊東)に流されていた日蓮が、十六代当主江川太郎左衛門英親に招かれ教化を行ったところとされ、英親は身延山へ登り日蓮より「日久」の法号を授けられた のちの1506年(永正3年)、二十四代当主英盛が江川邸内にあった大乗庵を移し本立寺が建立されている
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石段の先を上りきった所に本堂が見えます
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幕府の韮山反射炉を作った 江川英龍像
三十六代英龍も ここ本立寺に眠っています
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本立寺の鐘楼には、鎌倉の東慶寺にあった梵鐘が吊されているそうです
由来は諸説あって 鎌倉幕府滅亡後、東慶寺の覚海円成が伊豆の国に移っていることから、本立寺に移されたと言われているそうです
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鎌倉時代に、日蓮上人を江川家に数日お迎えして、自筆の火伏の棟札(むなふだ)をいただいているのです。そのご利益により、江川家は、以来700年以上火事などに遭わずに保たれているのだと・・・・火伏のお守りなんです(Hpより抜粋)
我が家のお宝の巻物は この火伏の棟札と同じ内容の物でした。 江川家は代官として幕府直該地の相模や武蔵をも収めていたので火除けのお守りとして直該地の民衆に与えたと推測されます
我が家は 相模の国で日蓮宗本照寺の檀家でしたから この火伏のお守りが有っても不思議ではないですね、江川邸を訪ねて我が家の家宝の由来が判りました
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桜も盛りを過ぎて 葉が出初めてますね
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もみじの新芽も芽吹いたました
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江川太郎左衛門像の前から 山門を振り返りました
鎌倉時代にさかのぼる
ロマンの里
北条氏と鎌倉幕府の
礎になった地に
思いを馳せた
旅になりました
この後
頼朝と政子のロマンの地
蛭が小島に
向かいました
後に続きます

靖国神社に行ってきました。 [神社仏閣]

昨日は温かいというより暑い位の一日になりました。 暑くなったり寒くなったりと乱高下が激しいので体調管理が大変ですね。週末もおおむね20℃位で推移するようです。 

さて今日の記事は 千鳥ヶ淵の桜を観に行った時に立ち寄った靖国神社の写真になります

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地下鉄半蔵門線のラッピング車両 クレヨンしんちゃんが可愛く描かれてました

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九段下で降りると 立錐の余地がないほどの混雑でした

武道館で某大学の入学式が行われていた為でした。

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ちょうど昼時でしたので グルナビでチェックしてたお店で食事をしました。

僕が食べたのは 和風ハンバ-グに大きな鳥の唐揚げが2つも付いたランチ

ハンバ-クより鳥の唐揚げの方がボリュ-ムありました(笑)

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靖国神社前の靖国通りも両側の桜が満開で見事でした。

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靖国神社神門から 拝殿方向です

いつ行っても人が多いですね

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神門をくぐって 右手に 東京の桜(ソメイヨシノ)の標準木があります。

この標準木が5~6輪咲いたら開花宣言がでます。 8割咲いたら満開宣言が出るそうです

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 中門鳥居から 拝殿です

一般の人はこの拝殿でお参りをしますね

靖国神社 A級戦犯も祀られている事でとかく韓国や中国から非難の的になりますが

アジア系や欧米系の外人の参拝も多いですね

特にC国の人は声が大きくうるさいのですぐ解ります(笑)

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中門鳥居から 神門を振り返って見ました

凄い人出ですね~

少し並んで 拝殿でお参りを済ませました

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靖国神社の桜はあまり撮りませんでした

向かった先は ゼロ戦が展示されてる 遊就館です

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第二次世界大戦中に海軍の艦上攻撃機として三菱重工で作られた。

正式名称は 零式艦上戦闘機と呼び高性能な戦闘機として 米英の連合国軍からゼロファイタ-

として恐れられていた。 1万機が三菱と中島飛行機で生産され戦争末期は特攻機として利用された

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二度と悲惨な戦争は繰り返さないとの平和国家で

負の遺産となった零戦、戦後はこの技術力で経済発展の礎にもなりました。

何しろ飛行機を作れる国は世界中でも限られた一握りの国だけですからね。

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尊い命を戦争で犠牲にして国の為に散った御霊を祭る靖国神社
今、平和で楽しく暮らしていれるのも
と考えると
頭が下がる思いがします
いつまでも平和な国で有り続けてほしいものです
今日の記事で千鳥ヶ淵の桜の記事は終わりです

片瀬江の島 寂光山 龍口寺 [神社仏閣]

先週土曜日の孫誕生の記事に沢山のお祝いコメを頂きありがとうございます。 男の孫はがり3人となりました。3人目は女の子の孫ちゃんをと思ってましたが、中々可愛いの女の子の孫ちゃんには恵まれません。さて今日の記事は 神社仏閣の記事になります。 今年は 日蓮宗の本山巡りをしてるんですが今回は神奈川県藤沢市片瀬にある 日蓮宗霊跡本山 寂光山 龍口寺の記事になります。

龍口寺縁起  日蓮聖人(1222~1282)がご入滅(死去)された後、直弟子の日法聖人が、延元二年(1337)に「龍ノ口法難の霊跡」として、一堂を建立し、自作の日蓮聖人像と、首の座の敷皮石を安置したのが、寂光山龍口寺の始まりです    鎌倉の古寺をひかえ、湘南海岸や江ノ島などの観光名所が随所にあるこの龍ノ口は、鎌倉時代、罪人を斬首する刑場でした。日蓮聖人は、『立正安国論』を鎌倉幕府に奏上したことが、貞永式目の「悪口の咎」にあたるとして、市中引き回しの上、この地で斬首されそうになりました。その刑場跡に立てられたのが、龍口寺です。(龍口寺HPより抜粋)

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江ノ電が 江の島駅を出て 路面電車 になる最初の出口付近に 龍口寺が建ってます

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道路からすぐ仁王門が建ってます 

龍ノ口法難 : 鎌倉時代後期、日本は内乱や蒙古襲来、飢餓や疫病の蔓延など、様々な脅威に包まれていました。それらを憂えた日蓮聖人(1222~1282)は、『立正安国論』を著し、幕府に奏上しました。
 しかし、幕府はこれを政策への中傷であると受け止め、文永8年(1272)9月12日、鎌倉松葉谷の草庵におられた日蓮聖人を捕らえ、斬首するために、刑場であったこの地、龍ノ口へ連行したのです。
 翌13日子丑の刻(午前2時前後)、土牢から引き出された日蓮聖人は、敷皮石(座布団状の石に皮を敷く)に坐らされ、評定の使者も待たず、あわや斬首になるときでした。
 「江ノ島の方より満月のような光ものが飛び来たって首斬り役人の目がくらみ、畏れおののき倒れ」(日蓮聖人の手紙より)、斬首の刑は中止となりました。
 龍ノ口刑場で処刑中止となったのは日蓮聖人をおいておらず、爾来、この出来事を「龍ノ口法難」と呼び習わしています(龍口寺HPより抜粋)  入り口の仁王門の左手が 龍ノ口刑場跡 となってます

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仁王門 から続く石段の上に山門が見えます

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さすが本山だけあって立派な佇まいです

扁額には龍口寺と書かれてます

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山門から奥に続く敷き石の奥、石段で小高くなった場所に 本堂 が望まれます
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山門に掲げらていた壁画です
何かの故事を表現した彫刻みたいです
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山門をくぐって 右手に石段が見えます
登って行くと 書院が建ってます
ちょうど 赤い服を着た女性が石段を登っていたので 後姿を撮らせて頂きました
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屋根のかわらが造形的に見えたので、書院の屋根を撮りました
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石段の下から見上げた 本堂です
奥に 五重の搭が見えます
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本堂の横には 椿の木の中に 日蓮上人の像が立ってます
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本堂でお参りを済ませ
龍口寺の 御主題 を頂きました
御朱印も頂けるんですが 御主題 は日蓮宗のお経の一節 南無妙法蓮華経 と書かれ
御朱印より功徳が得られると言われてます。
この御主題を頂くのには 日蓮宗だけの御朱印帖でないと 書いて頂けないんですよ
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五重塔 の上の部分です
ここの五重塔 木や建物が邪魔して この部分しか撮れませんでした
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お参りを済ませ
山を下りて
上から見た 仁王門です
話し変わって
TVで カタクリの花が 雪の中から芽を出した内容の番組をみました。
先週の土曜日、 テニスの帰りに
前に住んでいた公園の中にカタクリが植えられた場所があるので
カメラを持って出かけてみました。
咲いてましたよ
番組の中で カタクリの事
森の妖精って言ってました
明日の記事は
森の妖精にしますのでお楽しみに

大坊本行寺 [神社仏閣]

昨日は天気が良かったので山中湖にダイヤモンド冨士でもと思っていたんですがやめました。山中湖のダイヤモンド冨士は場所を移動しながら2月末ごろまで見るチャンスがあるので後日にする事にしました。 そんな事で昨日は9時頃近くの梅園にメジロを撮りにいったんですが 見事空振り、メジロさん現れませんでした。場所を変えて 鳥さんでもとねばったんですが 9時から12時までで 3~4種類の鳥さん一応カメラに収めましたが、鳥さんの都合もあるのでカメラを構えた おじさん の前には姿を現しませんね。 探鳥は難しいです

さて今日の写真 池上本門寺の続きで 近くにある 大坊本行寺の写真です

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池上本門寺の本堂前の車坂 を下に降りる石段が 大坊坂 とよばれる石段で 本行寺に続く石段です
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大坊坂 はかなり急な石段で 下りきった所が本行寺の山門になります
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石段の途中に 日蓮上人 を荼毘した場所で 宝塔が立ってます 
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石段を降りた右手に赤門が現れます 
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赤門には 大坊 の扁額が掲げられてます
日蓮聖人は、今から700余年前の弘安5年(1282年)9月8日、常陸国(ひたちの国/現在の茨城県北部)での湯治療養などのため、9年間にわたり住み慣れた身延山久遠寺(みのぶさん くおんじ/現在の山梨県巨摩郡身延町に所在)を後にされ、9月18日、武蔵国池上郷(現在の東京都大田区)の鎌倉幕府の作事奉行であった池上宗仲公(いけがみむねなかこう)の館にお着きになられました 日蓮聖人は、この宗仲公邸で療養につとめながら、小康時には弟子や信者に「立正安国論(りっしょうあんこくろん)」の講義などをされていましたが、病がいよいよ重くなられ10月13日辰の刻(午前8時)――。お亡くなりになられました。享年61歳でした。(本行寺HPより抜粋)
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境内では 梅の花が咲き始めていました 1月26日
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赤門をくぐって正面に 本堂 があります
本堂には 長崇山 の扁額が掲げられてます
鎌倉幕府の作事奉行であった池上右衛門大夫宗仲が、日蓮聖人ご入滅の後、日澄(大聖人の本弟子・日朗の弟子)に公邸を寄進しお寺を建立、「長崇山 本行寺」と称しました
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本堂の横手 奥まった所に ご臨終の間 があります
日蓮聖人がご入滅になられたお部屋の跡に建てられたお堂。昭和11年(1936年)に東京都の史跡に指定されました。大聖人が滞在中に寄りかかって「立正安国論」を講義された「お寄り掛りの柱」の一部に触れていただくことができます。
(本行寺HPより抜粋)
お参りをして 日蓮上人が柱に寄りかかって 法華経や立正安国論を講義したそうですが
その柱の一部に触れる事が出来るので 触れてきましたよ
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御主題を頂きました
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お会式桜
日蓮聖人がご入滅されたとき、庭先の桜が旧暦10月(今の11~12月)にもかかわらず時ならぬ花を咲かせたと伝えられており、お会式の万灯に桜の花を飾るのは、この故事に由来しています。現在も敷地内に残る桜は、聖人がご入滅された時期になると花を咲かせます(本行寺HPより抜粋)
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お会式桜 咲いてました
八重桜でしたね
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日蓮宗 本山 大坊本行寺を後に

隣接する 大田区立の池上梅園に立ち寄りました

梅園の記事は後日に続きます

話し変わって

昨日の午後

家庭菜園の草むしりをして

鶏糞を30Kg散布しました

玉ねぎはマルチが風で飛ばされていたので 剥がして

化成肥料を散布しました

3月初めに ジャガイモを植え付けるので

もう少ししたら耕して準備をする予定です。

ご訪問ありがとうございました


池上本門寺Part2 [神社仏閣]

今日から2月ですね、まだ寒い日がつづきますが何となく気持ち的には 春めいてくるような感じがしますね。 我が家のシンビジュ-ムも固い蕾が此処に来てほころび花が開きました。2月にはいったら 家庭菜園もジャガイモの植え付け準備に入るつもりです

さて今日の写真 池上本門寺のPart2になります

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五重塔の写真でもと 五重塔の傍に行くと 力道山の墓 という→がありました。
何となく 懐かしい名前だなと →を辿って 力道山の墓に行ってきました
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力道山 の銅像が立った立派なお墓でした
今の若い人には 力道山? 判らないと思いますが 僕が子供の頃はプロレス中継を
TVで見て 力道山はヒ-ロ-でした
とうじ我が家にはTVは無くて ご近所にTVを見せて頂きに行きました~
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力道山のお墓の前から 大堂の屋根が見えます
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関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔で、徳川二代将軍秀忠の病気回復を願い
乳母岡部の局(のち正心院)が寄進したと言われてる
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加藤清正公の娘で御三家紀州藩祖徳川頼宣公の正室となった瑤林院が、正保4年(1647)に寄進した
という鐘楼堂
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大堂の大屋根
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江戸中期の経蔵で、堂内の輪蔵には、天海版一切経が架蔵されていた 
独立した堂宇のため、昭和20年4月15日の空襲の際も、五重塔・多宝塔・総門などと炎上を免れた(HPより抜粋)
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ちょうど昼時に訪れたので 境内のお休み処 でお蕎麦をたべました
注文したのは 本門寺そば という温かい蕎麦にしました
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エビ天、ゴホウ天、お餅、麩、シイタケ、三つ葉、かまぼこ、ゆづ
が乗ったお蕎麦で 少し甘めの汁で美味しく頂きました
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食事の後に むかったのは 道をはさんだ 本堂です
たぶん 檀家さんが法事などをする時に使用されるエリアなんでしょうね
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本堂の中には 仁王像が安置されてました
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本堂前から 三重塔 がみえます
何となく 京都ぽい 雰囲気がしますね
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本堂の裏手に日蓮上人の御廟所があるそうなので向かうと 白梅が
綺麗に咲いてました
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御廟所の入り口 3基のお堂が
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正面に 日蓮上人の遺灰を収めた御廟所が
遺骨は 身延山久遠寺の御廟所に収められてるそうです
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御廟所にお参りをして

池上本門寺を後にしますが

ここ池上で日蓮上人は61歳で亡くなられたそうですが

亡くなられた場所は本門寺から坂を少し下った

大坊本行寺というお寺だそうで

行って見る事にしました

後に続きます

ご訪問ありがとうございました


池上本門寺に行ってきました [神社仏閣]

1月27日 風邪の症状が出て体調不調になった為、孫ちゃんの3歳の誕生日は急遽キャンセルしました。体温計ったら37.3℃ちょっと寒気がしましたね。 食事やバ-スデ-ケ-キは準備しちゃってたので 各家に持ち帰って食べました。と言っても1階と2階なんですか(笑)  大切な孫ちゃんに風邪を移しては大問題ですからね。 と言う事で中止になったんですが 僕は翌日平熱になって日曜日は元気にガ-デニングをしました。 息子が気遣ってくれて 昨日の夕食を孫ちゃん家族と一緒にたべました。女房の手料理とけんちん汁で楽しい時間を過ごしました。

さて今日の写真 1月26日に横浜に自動車免許証の書き換えに行った後に 大田区の池上本門寺にいってきました。

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横浜からJR根岸線で蒲田に行って 東急池上線で2駅目ですから 近いですね

11時前に池上駅に着きました

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 駅前から続く門前を7~8分歩くと道路の突き当りに 山門 が見えます
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 門前や周囲に 観音堂や寺院が散在してて 池上はさながら寺町の風情があります
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 古い酒屋、葛餅や、煎餅屋、蕎麦屋など 本門寺を訪れた参拝客の店が
多く お店を冷やかしながら 山門に着きました
写真では判りませんが 山門の扁額には 本門寺 と記されてました
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山門をくぐると 正面に 急な石段が見えます
慶長年間に、
加藤 清正が寄進したと伝わる96段の石段です
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石段の途中に 河津桜が綺麗に咲いてて
メジロが蜜を吸いにきてました
レンズ18-75mmしか持っていかなかったので トリミングしてます
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かなり登ってきました 振り返ると池上の街が見渡せます
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石段を登ると 仁王門が あらわれます
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池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳で入滅(臨終)された霊跡です。日蓮聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられました。(本門寺HPより抜粋) と言う事で 池上本門寺は日蓮上人入滅の地として 日蓮宗の大本山となってます
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仁王門の扁額には 長栄山  と書かれています。
長栄山本門寺という名前の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられたそうですよ
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仁王門をくぐると 大堂 と呼ばれる祖師堂が現れます
左手には 2月3日の節分 の豆まきの舞台が準備されてました
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手水舎で身を清めます
奥に五重塔が見えます 後で行ってみましょう
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イゲタにハスは日蓮宗の宗紋ですね
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大堂にお参りをして 御主題を頂きます
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いただいた 御主題 を大堂とコラボで 
最近ブ-ムになっている御朱印集め
御朱印は、納経印 ともいい、もともとは、
巡礼などで、お寺へお参りして、お経を納めた、
証しに押されたのが、『御朱印』です。この納経が、だんだん簡略化されて、
参拝した証しに、御朱印を押していただける、
寺社が出てきました。
 
ところが 御朱印を押して頂こうとすると この御朱印帖には押せませんという
お寺も有ります
神社の御朱印が押された御朱印帖にお寺の御朱印は押して頂けないお寺もありますよ
その逆もあってお寺の御朱印が押された御朱印帖には押せませんという神社もあるそうです
御朱印帖は神社とお寺は別けた方が賢明です。
日蓮宗では 御朱印を御主題と呼び 南無妙法蓮華経 と墨書きされますが
他の宗派の御朱印が押された御朱印帖には
御主題は押してもらえず 妙法 と墨書きされる御朱印になるそうです。
僕は日蓮宗の大本山 誕生寺で初めて御主題を押して頂き、そこで御朱印帖を購入しましたが
御朱印帖は他の宗派と分けて下さいと言われました
まあ参拝記念に押して頂くだけなら
御朱印でも御主題でも気にしなくていいんですが
僕にとって、御朱印は、お参りした記念でも、
ありますが、神社やお寺で、お願いごとや、
お祈りをしていただいた、ありがたい、お札や、
お守りと同じ、と思っています。
池上本門寺はあと一回続きます
ご訪問ありがとうございました

信州小諸  布引山 釈尊寺 [神社仏閣]

相撲も終わったので 昨日から散歩を再開しました。 速足で30分ほど、いつもの川沿いのコ-スですから 平坦な道2~3Km位でしょうか。 継続は力なり しばらく続けてみますよ。

今日の写真は 1月8日 信州から帰路の途中、小諸の 布引観音 に立ち寄りました。 ここは馬爺さんの記事で知ったんですが 善光寺の牛伝説の始まりの地だとかで 興味があったので訪問しました。

布引山 釈尊寺  天台宗の寺院 布引観音 とも呼ばれる
           「牛に引かれて善光寺参り」伝説 発祥の地。本尊は聖観世音菩薩。

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千曲川のほとりに 5~6台止められる 駐車場に車を止めて 登ります。

上り口は広い石段で普通に登れそうにみえますが 女房と一緒ですぐ後悔する羽目に

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つづら折りを少し上ると 道は山道のように狭く急になってきます

女房の靴は街歩きのブ-ツだったため 歩きづらいと 大変でした。

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登山道の横を流れる沢も凍りついて ツララがさがってました

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登山道の中ほどに 牛伝説の 牛岩 と表記された岩があって

現地では女房はすぐ牛に似てると言ってましたが、僕には牛にはみえませんでしたが

写真でみると確かに牛に見えますね  左が牛の顔でつのが判ります

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女房が足元が危なく歩けないと言い出したので 手を引いて進みます

めったに手をつないで歩く事ないですから これも御利益なんでしょうかね(笑)

仁王門と遥か崖の上に観音堂が見えます

昔は 仁王門をくぐって観音堂の登る道があったそうですが 今は仁王門は通れません

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仁王門前の道をさらにのぼって 振り返ると 崖にせり出した観音堂が見えます

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駐車場から約 20分 程で 平らになった 釈尊寺にたどり着きました。

千曲川によって浸食された崖状になった左岸をつづら折りで急登ですから

女房でなくとも骨が折れます 

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昔、無信心なお婆さんが白い布を木にかけて洗濯をしていると、急に現れた牛が、角に布を引っかけて走り去ったので、お婆さんが慌てて追いかけて布を取り返そうと引っ張ると、そのまま牛に引きずられてしまい。気がつくと長野市の善光寺まで来てしまいました。善光寺で牛は突然消え、お婆さんはその牛が仏様の変わり身だと気づき、無信心だったお婆さんはその日から、心を入れ替えて信心深くなったという話からきているそうです

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本堂でお参りをして 御朱印帖 を預けて観音堂にお参りに

崖に食い込むようなお堂が  牛の石像も横たわってました

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崖に掘られたトンネルの向こうに 観音堂が見えます

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どのように建造したのか 完全に岩と一体化してますね

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観音堂 に着きました

清水の舞台のように懸崖作りで完全に空中に浮いてて 長い柱で支えてるんですね

観音堂の中には 宮殿と呼ばれる逗子があって 中に 正観世音菩薩が安置されていて

信濃三十三観音霊場 第二十九番番札所になっています

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観音堂から 本堂を見ます

こんなに険しい所とつゆ知らずに、街歩きの格好で登った女房です

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享保8年 1723年に再建された建物だそうですが

それにしても 300年も前にこんな崖にどのようにして建物を建設出来たのか

ロマンを感じました

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本堂前の 観音菩薩ごしに 観音堂を望みます

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観音堂のお参りを済ませ

御朱印を頂いた 御朱印帖と観音堂です

上ったら 下るわけですが

下りの方が 足元が不安定でゆっくり歩いて降りるので時間が掛かりますね

途中何組かの 参拝者とすれ違いましたが

あまりの急坂に一様に驚いてました

興味を持たれて 布引観音に行かれる方は

足元は 山に登るような靴で

行かれる事をお勧めします

尚、ハイヒ-ルは危険ですから絶対

やめて下さいね

車に戻って 上信越道 小諸ICから帰路にに着きました

ご訪問ありがとうございました


塩田平 前山寺 [神社仏閣]

昨日はソネブロさんのサ-バ-メンテがAM1時~11時までだったので朝の定期訪問はお休みしました。記事も僕はAM2時の予約投稿なで当然上がってなかったみたいです。 会社に行くと今日ブログ上がってなかったので休みかと思ったなんて何人かの人に言われました。毎朝見てくれてる人が身近にいるのは嬉しいものですね。 サ-バ-メンテしたという事ですが この記事を書いてて 写真のアップロ-ド遅くなりました~ 記事投稿にも時間掛かってるので何をメンテしたんでしょうね

て今日の記事も昨日の続きになります

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別所温泉を10時前に立って 天気も午前中は持ちそうだったので

小諸の布引観音をお参りして帰る事にしました。

その道すがら 塩田平と呼ばれる 地域を通りました

ここは 信州の鎌倉とも呼ばれるところだそうですよ

山に朝霧が掛かって素敵な景色が広がっていたので 車を何回か停めて写真を撮りました

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なんとなく 日本の原風景を見る思いでした

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車を走らせてると 前山寺 重文 三重塔の標識があったので寄り道しました

お寺は 塩田平の山すそ 前の写真のキリが掛かった山の中腹に位置してます

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真言宗 前山寺 の参道前に車を停めました

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樹齢500年ともいわれる大ケヤキの根元に
地蔵様が
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長い参道を緩やかに登って行くと石段があって茅葺の山門があります

日曜日ですが誰とも出会わず静かな 参道でした

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山門の 前方に 三重塔が見えます

拝観料を収めて境内に入ります

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本堂は茅葺屋根の重厚なつくりです  御本尊は大日如来

812年弘法大師空海が護摩修行の霊場として開創したといわれる

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重文に指定されている 三重塔

和様・禅宗様の折衷様式。建立年代は不明だが、様式から室町時代と推定されている。三間三重で高さ19.5メートル、屋根は杮葺きである。また窓や扉、廻縁、勾欄はないが、長い胴貫が四方に突き出し調和させていることから、     「未完成の完成の塔」と呼ばれている(ウィキ抜粋)

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ちょっとアンダ-で撮ってみました

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本堂のわらぶき屋根の分厚い 軒 に 本 と読める 字 が見えました
住職に尋ねると
三重塔のある高い位置から見ると 水 と読めるそうです
何度も火災にあってるので
火除けのお呪いだそうです
美しい三重塔が見れて良かったです
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前山寺の周囲は長閑な里山の風情が素敵です

この寒波の影響でこの塩田平も一面白い雪に覆われていることでしょう

この塩田平はいくつかのお寺を巡るコ-スが設定されていて

美術館などもあるそうで別所温泉に泊ってゆっくりするのも一考ですね。

前山寺を後に

小諸の布引観音に車を走らせました

銀座の記事と織り交ぜながら

次に続きます


善光寺と対の北向観音 [神社仏閣]

北向観音(きたむきかんのん)は、長野県上田市の別所温泉にある天台宗の寺院。近隣にある天台宗常楽寺が本坊であり、その伽藍の一部として同寺が所有・管理する。北向観音という名称は堂が北向きに建つことに由来する。これは「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」という観音の誓願によるものといわれている。 また、善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで善光寺のみの参拝では「片参り」になってしまうと言われる  平安時代初期の天長2年(825年)円仁(慈覚大師)によって開創されたという 幾多の火災で焼失し江戸時代に至って正徳3年(1713年)にも焼。、8年後の享保6年(1721年)に現在の堂が再建された。(ウィキ抜粋)

1月7日 善光寺を詣でた後 夕方4時頃に北向観音を参拝しその日は 別所温泉に宿泊しました。

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宿に車を置いて その足で 参拝に向かいました。

道路の対岸にお堂が望めます

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石段を下ると 湯川 という小さな川が流れてます

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さすが温泉地だけあって お湯が流れてますね

微かに白濁し硫黄の臭いもかすかに漂います

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湯川の橋を渡ると小さな 門前があり 土産物屋や食事処が並んでます

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振り返ると 今降りてきた石段が見えます

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門前の終わりは急な石段で北向観音の境内へとでます

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振り返るとこんな感じになってますよ

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手水舎で手を清めますが

水ではなく温泉水が出てて温かい 手水舎にはビックリしました。

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短い 参道が本堂に伸びてます

正月7日 参拝客目当ての露店が並んで何となく違和感を感じました

まあ最近は何処の神社仏閣も正月は露店が出てますけどね

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北向山の扁額が掲げられてます

善光寺をお参りした後でしたので、思ったより 観音堂の規模が小さく感じられました

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参道からさらに数段 階段があって 本堂に入ります

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撮影禁止の表示が無かったので

久々に堂内を撮影できました

ご本尊は 千手観世音菩薩で 坂東33ケ所の番外札所になってます

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お参りを済ませ

御朱印を頂きました

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堂の右手に 鐘突き堂があって

後で判ったんですが 天然記念物の愛染カツラの大木があるそうです

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懸崖作りのお堂も

このお堂は 温泉薬師瑠璃堂というそうで、文化6年(1809年)に地元の薬師講により再建されたとの事

正月7日 夕方になると

山間の地で標高もかなり高い場所なので

冷え込みも厳しくなってきました

早々に 宿にチェックインして

温泉で冷えた体を温めました

夕食を食べて翌日6時半から 上田電鉄別所温泉駅まで行って

電車を撮りました

朝食時間は8時半でお願いしてたので

外湯に入ったりと

温泉街の風情をしばし満喫しました

早朝散歩はもちろん僕一人でですよ

女房はまだ布団の中でしたから(笑)

宿の食事の写真も撮ってあるので

またいつかブロぐにでもと思ってます

ご訪問ありがとうございました


善光寺に御礼参り [神社仏閣]

1月7日から8日 坂東33ケ所結願御礼として長野の善光寺と北向き観音をお参りに行ってきました。坂東札所めぐりは昨年1年を掛けて 一人で巡りましたが今回は結願御礼の旅でので女房と一緒です。別所温泉に泊って1泊2日で巡ってきました。写真も沢山撮ってきたので何回かに別けてアップしたいと思います

最初は 善光寺になります。善光寺(ぜんこうじ)は、長野県長野市元善町にある無宗派の単立寺院で江戸時代には、「一生に一度は善光寺詣り」と言われるようになった  山号は「定額山」(じょうがくさん)で、山内にある天台宗の「大勧進」と25院、浄土宗の「大本願」と14坊によって護持・運営されている

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自宅を7時に出て 圏央道~関越道~上信越道と乗り継いで 11時過ぎに 信州大学近くの大門付近の駐車場に車を入れました。走行距離270Km 関越道はスキ-に行く車で所々で渋滞してましたが 上信越道に入ると車も少なくて  のんびり走る事ができました。

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大門からゆるい上り坂を歩いていくと 突然道の真ん中に 仁王門が現れます
車道は 仁王門の手前で 左右に別れます
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仁王門 には上額山 の扁額が掲げられてます

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大きな仁王が仁王立ちして睨みを利かせてます

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この仁王門をくぐると 仲見世と呼ばれる

土産物屋や食べ物やさんが両側に立ち並ぶ 門前になります

仲見世の奥に 山門 が見えますね

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 仲見世は 浅草の仲見世のような賑わいです

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僕も 甘酒 を頂きながら本堂を目指します

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仲見世の両側には 所々で 宿坊やら 別院が姿を見せます

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縁起物を売ってるお店もありますね

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休憩所の中に 牛に引かれて善光寺 の牛さんが鎮座してました
皆さん撫でまわすので ピカピカでした
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仲見世が終わる所に 山門 が聳えてます
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 山門の横には
大きな六地蔵が並んでます
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 山門には 善光寺 の扁額が
通称 ハト字の扁額と呼ばれ ハトが何羽か善光寺の中に描かれてるそうです
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 山門をくぐると TVなどでおなじみの 善光寺と言えば

この写真になりますね  本堂 が目の前に現れます

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 本堂でお参りをして 内陣に参拝して
お戒壇めぐりをしました。
ご本尊の一光三尊阿弥陀如来 像の真下の暗黒の床下を壁伝いに巡って
鍵をさがすのですが 真っ暗で手さぐりの世界です。
極楽の鍵に触れると極楽浄土に行く事が約束されるそうですよ
僕も女房もしっかり極楽の鍵に触れましたよ
尚本堂内は撮影禁止ですので写真は有りません
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お参りを済ませて ご朱印を頂きますが
何と6種類もの 御朱印がありました
僕は左上の 本堂の御朱印を頂きます
善光寺とまわりの坊や院だけで 御朱印帖1冊くらいの御朱印が集まるそうですよ
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今回は 坂東33ケ所の御朱印帖に記帳して頂くので40分ほど掛かるとの事で
御朱印帖を預けて
門前に昼食を食べにいきました (昼食は別記事でアップします)
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一時間ほどして戻って 御朱印帖をいただきました
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山門をくぐって 大門の駐車場に戻りますが
正月7日
ひっきりなしに 初詣に訪れる 善男善女の列が続きます
この後 今宵の宿の別所温泉へと車を走らせ
別所温泉にある 善光寺と対の北向き観音をお参り致しました。
後に続きます
ご訪問ありがとうございました

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