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日向薬師Part2 [神社仏閣]

土曜日から3日連続で夏のような暑さがつづいてます。 今日は仕事は半袖のポロシャツ1枚でした。真夏になったらどうなるんでしょう。まだ5月も半ばすぎなのに思いやられますね。 昨日は会社の帰りに家庭菜園にいってジャガイモの試し堀りをしました。 2株堀たんですが 大きなジャガイモが7つと小さいのが少々 かなり生育が良かったですよ。


今日の写真は昨日の続きで日向薬師になります


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部分的にかなりの勾配の箇所もありますね
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何百年 この場所にたっているんでしょうか
もしかしたら源頼朝も見たかもしれない大木が立ってます
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誰の碑でしょうか
参道には 石碑や古い石柱が散見されます
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平らになった参道を進むと
前方に本堂と石段が見えてきました
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石段を上り詰めると
目の前にには 去年の11月に6年間の大修理を終えた茅葺の薬師堂が現れます
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奈良時代初頭の霊亀2年(西暦716年)に、僧行基により開山されました。
僧行基が熊野を旅していた際、薬師如来のお告げにより、相模国のこの地(現在の神奈川県伊勢原市)に、日向山 霊山寺(ひなたさん  りょうぜんじ)を開山した、と伝えられています。

本尊  薬師瑠璃光如来(鉈彫り 国重文)

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寺号は廃仏毀釈以前は「霊山寺」、以後は「宝城坊」と称するが、中世以来薬師如来の霊場として信仰を集めていることから、「日向薬師」(ひなたやくし)の名で親しまれている(ウィキより抜粋)
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本堂の中は撮影禁止の為入り口部分だけでです
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現存の本堂(薬師堂)大修理歴
室町期 康暦2年(1380年) 630年前
江戸前期 万治3年(1660年) 350年前


平成18年の詳しい調査の結果、屋根・柱・床の老朽化と虫害により
急ぎ大修理が必要な時期であると判明し、文化庁・神奈川県・伊勢原市の
協力と助成を受け、平成の大修理を遂行し28年11月20日に落慶した

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宝城坊の二本杉と言われる大きな杉が鐘突き堂の前に立ってます
この時期緑に萌えて見事な風情を醸し出してました。
この後、国宝に指定されてる薬師如来と十二神像が安置
されてる 宝物館を拝観しましたが
写真は撮る事は禁止でしたので写真はありません。
あと1回続きます

日向薬師Part1 [神社仏閣]

伯父の葬儀も無事に終わって一段落しました。 父は3年前に他界しましたが 富国強兵時代、産めよ増やせよで、なんと14人兄妹と今の時代では有りえない家族構成でした。 14人の兄妹も伯父が亡くなって父の兄妹は、末っ子の7男坊の叔父さん一人だけとなってしまいました。寂しい限りですが残された叔父さんには長生きをしてほしいものです。


さて今日からブログ記事は通常に戻ります。今日の記事は 5月連休中の4日に女房のリクエストで源頼朝や政子も参拝に訪れた 神奈川県西部にある 日向薬師 の記事になります。


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車で行ったので 日向薬師のバス亭そばの駐車場に車を停めて
参道を歩きました
長閑な景色が続きます
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日向薬師の傍にも駐車場は有るんですが
この参道は源頼朝や政子が歩いた道で風情がありますから 行かれる方は
参道を歩かれる事をおおすめします。
参道から本堂までは10分~15分かなり急な登り坂を歩きます
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衣装場と書いて いしば と読むそうです
此処は 源頼朝が娘の病気平癒祈願に 建久5年8月8日 鎌倉武士50名を引き連れて
明け方4時に此処で、旅装束をといて 白装束に着替えた場所のようです。
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癒されます
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衣装場から進むと 急な石段の上に 仁王門が現れます
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仁王様が 睨みを利かせてますね
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相当 時代がかった仁王像のようですが
由来は判りませんでした。
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仁王門をくぐると さらに石段が上に続きます
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ここからが 趣のある参道で
頼朝や政子も歩いた道かと思いを馳せて歩きます
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女房も興味深々 鎌倉時代にタイムスリップした感覚を味わってました
この参道を下から登る人は少ないようです
歩いてる時に2組しか会いませんでしたから
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女房が見上げてる先は 杉の古木が
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振り返ると 仁王門の屋根が
緑に溶け込んでました。
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説明は入りませんね~
素敵な空間が続いてます
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登って行くと
参道の突き当りに 観音菩薩像が立っ広場があって
道はここで 左に曲がって
本堂へと続きます
それにしても趣のある参道です
この先は後日に続きます

鎌倉散歩 安国論寺 [神社仏閣]

昨日、午後2時頃にメ-ルが入って2月に老衰で入院してた伯父が亡くなったとの訃報が届きました。10日程前に見舞いに行ったのが最後になってしまいました。2月から点滴だけで3ケ月以上頑張って95歳の天寿を全うしました。世話になった伯父なので最後の旅立ちの世話をしてあげれたらと考えてます。ブログ記事は何とか書ければとおもってます。


今日の記事は鎮魂の日蓮上人縁の鎌倉安国論寺にしました。


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長勝寺・妙法寺と並び、日蓮上人が鎌倉で布教するに際して拠点とした松葉ヶ谷草庵の跡とされ、松葉ヶ谷霊跡安国論寺とも言う。開山は日蓮とするが、弟子の日郎が文応元年(1260)に、日蓮が前執権北条時頼に建白した「立正安国論」を執筆した岩穴(法窟)の側に安国論窟寺を建てたのが始まりである(ウィキより抜粋)
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山門はツツジの花が満開でした。(5月3日)
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本堂に続く参道にはシャガの花が咲いてます
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本堂には 立正安国 の扁額が掲げられてます
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つつじが綺麗に咲くお寺でした
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もみじも綺麗な若葉を茂らせているので
秋の紅葉も見事でしょう
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立正安国論で他宗派を激しく攻撃したため
草庵を焼き打ちされて隠れた洞窟跡などの史跡があります
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日蓮上人が日々、富士山に向かって法華経を唱えたという。富士見台
ここからは眼下に材木座の海岸と富士山を見る事が出来るそうです
この日は富士山は見えませんでした。
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空木でしょうか
ピンクの花木が目を引きました
御主題を頂こうと寺務所に行くと今、書ける人がおりませんとの事
今日だけなんかずっとそうなのか聞きませんでしたが
日蓮縁の寺としては少しガッカリしましたね。
ちょつと記事が雑になってしまった事をお許し下さい
20日の土曜日に通夜、21日が告別式なんですが
菩提寺の日蓮宗本照寺と近隣の同、妙昌寺から
僧侶5人が読教する大きな葬式に
なりそうです。
それだけ故人は偉大な人でした。
しかしどれだけ偉大であっても
生まれる時と死ぬときは裸一貫
一人の人間となって
誰もが平等になるんです
合掌

鎌倉の苔寺、妙法寺 [神社仏閣]

昨日は暑い位の陽気でしたが今日は朝から雨の予報が出ていて気温も20度位までしか上がらないようですね。 今日はテニスコ-トが取れてないのでテニスはお休みですが取れてても雨で出来ないでしょうね。 と言う事で今日は午前中自治会の仕事をします。 夕方から会社の新入社員の歓迎会があるので出席します。 基本飲み会なので車は置いてバスと電車で会場に向かいます。雨が止んでるといいんですがね。

今日の記事は 鎌倉の続きで 鎌倉の苔寺とも呼ばれる 鎌倉市大町松葉ガ谷に建つ 妙法寺です


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朱塗りの三門は現在通れません
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日蓮宗 楞厳山妙法寺(りょうごんざん みょうほうじ)
創建  建長5年(1253年)
開基 日蓮(開山)、日叡(中興開山)
建長5年に日連上人が安房より移り住んだ松葉ケ谷草庵跡に開かれたとされ、現在も境内奥の山腹に「御小庵趾」の碑があります
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拝観料を払うと 火の着いた お線香を渡されます。
火の着いた線香なので
写真を撮ることもできず本堂の香炉に線香をあげてお参りします。
お参りしないと次に進めませんね
ここの本堂は文政年間、肥後細川家により、幼くして亡くなった細川家息女の菩提を弔うため建立された建物です。
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お参りを済ませ 苔の石段がある仁王門に向かいます
アヤメ?が綺麗に咲いてました。
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紫蘭でしょうか
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仁王門が見えました
仁王門はくぐる事は出来ません
正面に 苔の石段が見えますね
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仁王門に鎮座する仁王像
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苔石段
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苔石段-仁王門から釈迦堂跡に続く石段で、苔に覆われており、このため妙法寺は別名「苔寺」「苔の寺」とも呼ばれる。苔の保護のため通行止めとなっており、脇に新しい階段が作られています
風情がある石段です
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石段の苔をアップで撮ってみました
フカフカの苔でした
長さ2~3cmほどありました
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文化年間に水戸家により建立された 法華堂に
石段は続いてます
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法華堂の左手に 鐘突き堂があります
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鐘突き堂のすぐ上に 日蓮上人が鎌倉に入って小庵を作った跡の碑がたっています。
ごく近隣の安国論寺、長勝寺も、それぞれ松葉ヶ谷草庵跡を称しており
何処にあったかはさだかではないようですが
松葉ガ谷に有った事は間違えないようです
草庵跡を上に登って行くと
後醍醐天皇の子・護良親王の墓があります
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苔石段から見た仁王門
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ここ妙法寺は 御朱印や御主題は頂けないと他のブログで
見た記憶が有りましたが
御主題 頂けました
もちろん御朱印も頂けるようですね。
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今年初めての蝶さん
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白いツツジも綺麗に咲いてました。
この後 歩いて数分の同じ草庵跡と称する 安国論寺に向かいました。
話し変わって
ここ数日、孫ちゃん下に降りてきません
孫ちゃんが僕がお菓子を与えるので
ご飯を食べなくなった
と濡れ衣を搔けらてます(笑)
あれも、これもダメ
では可愛いそうなので
内緒で食べさせてるんですが
孫ちゃん全て喋ってしまうみたいです
カズクンに○×△貰ったと
まあ日曜日には母の日で
一緒に夕食食べるので
その時会えますがね~
それにしても孫ちゃんは可愛いですよ

ぼたもち寺と安養院 [神社仏閣]

昨日は連休明けの初出勤、会社に行くまでは何となく気分的にはウツですね。 気合いを入れて会社に行ってしまえば 連休中遊び回ってる時より体的には楽なんですがね。

さて今日の記事は鎌倉の続きになります。 比企一族の妙本寺を後に 材木座に向かって最初にあるぼた餅寺と 北条政子の墓がある安養院です。


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妙本寺の山門を出ると ぼたもち寺 の案内看板が立ってます矢印に従って細い道に左折します
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住宅街の中を進みます。
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5分ほど歩くと 左手に ぼたもち寺 と書いた山門が現れます
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山門から本堂が見えますがこじんまりとしたお寺で
正式名は
彗雲山 常栄寺といいますが ぼたもち寺 の方が有名ですね。
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寺伝によれば、鎌倉時代に源頼朝が山上に由比ガ浜を遠望するための桟敷を作ったのが興りとされる。ここを守護していた印東祐信の妻で日蓮宗の尼僧(「浅敷の尼」といわれる)が、文永8年(1271年)の龍ノ口法難の折り、処刑のため刑場(現・龍口寺)に引かれて行く日蓮に胡麻ぼたもちを捧げた、という伝承がある。この後に日蓮は刑を免れたことから「御首継ぎ胡麻の餅」として有名になった。そうです Hpより抜粋
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狭い境内には 草花が植栽されてて 紫蘭が綺麗に咲いてました。
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法難のあった毎年9月12日には、参詣人にもぼた餅が供養接待されているそうです
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御主題を頂く為 御朱印の列に並びましたが
6~7番目でしたが小一時間並びました。 懇切丁寧に御朱印を書いてるんですね
一人で書かれてので時間が掛かりました
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待ってる間に 花の写真を撮ったりして過ごしました
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頂いた 御主題です。
ぼたもち寺の由来が細かく書かれてました
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ぼたもち寺を後に 安養院に向かいます
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由来
安養院は浄土宗の寺。この寺は、嘉禄元年(1225)、北条政子が夫・源頼朝の冥福を祈って建てた笹目の長楽寺が前身といわれる。長楽寺は鎌倉幕府滅亡とともに焼け落ちた為、この地に移ったが延宝八年(1680)に寺は再び全焼。源頼朝に仕えた田代信綱が建立した田代寺の観音堂を移して再建された。安養院の名は政子の法名である。本堂には本尊阿弥陀如来像と千手観音像と北条政子像が安置されている 5月には、オオムラサキツツジが寺を埋め尽くす
ここ 坂東三十三箇所札所の第3番札所で田代観音とも呼ばれていて 昨年札所めぐりで訪れています。
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この時期 ツツジが見事です
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今回 安養院を訪れた目的は 韮山の蛭が小島の頼朝伝説の続きで
頼朝亡きあと尼将軍として2代将軍頼家の跡目争いで比企一族を滅亡させ実子の頼家も修善寺に幽閉して暗殺したであろう闇将軍政子の墓がある為 再訪しました。
正直 政子の墓にしては質素な墓でした
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政子の墓の横には 鎌倉最古の石塔といわれ
重文に指定されてる大きな石塔が立ってます
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この時期つつじが見事てす。
この後 安養院近くの中華料理店で食事をして
鎌倉の 苔寺 と呼ばれる
妙法寺を訪れました
後に続きます

比企一族 妙本寺 [神社仏閣]

5月3日の鎌倉散歩、日蓮上人の足跡を訪ねて大覚寺から妙本寺に向かいました。 大覚寺から比企が谷は目と鼻の先の距離です。 ここ妙本寺は鎌倉幕府頼朝亡きあと二代将軍頼家が病に倒れ家督継承の争いで 建仁3年(1203年)9月2日 一夜にして政子の父、北条時政の謀略で頼家の嫡男 一幡もろとも比企一族が根絶やしにされた場所に建てらてます。(比企の乱と呼ばれてます) 比企の乱の時、まだ幼少で京都にいたため生き延びたのが比企大学三郎能本でした。能本は、鎌倉の町に立って生命がけの布教をされている日蓮聖人に出会い、「わが一族の菩提を弔って下さるのは、このお聖人しかいない!」と決心し、自分の屋敷を日蓮聖人に献上したのが妙本寺の始まりだそうです。

日蓮上人は、文応元年(1260年)比企能本の父・能員と母に「長興」、「妙本」の法号をそれぞれ授与し、この寺を「長興山 妙本寺」と名付けられました


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妙本寺 総門には妙本寺の扁額が掲げられてます
妙本寺は、日蓮聖人を開山に仰ぐ、日蓮宗最古の寺院です。開基は、比企能員の末子で、順徳天皇に仕えた儒学者比企大学三郎能本です
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山門をくぐると中井参道が続いてますが入り口から100mほどは車道と一緒になってて
土産物屋さんがあったり幼稚園があったりします
ここは 人力車で廻る観光客の立ち寄りスポットになってるようですね
人力車が止めてありました
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参道は自然豊かな比企が谷の緑のトンネルの中を
上にと向かう石段が長く続いてます
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この時期もみじの緑がきれいです
秋の紅葉も見事でしょうね
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二天門が見えてきました
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二天門をくぐると 正面に祖師堂があります。
手水舎の右手に 9月2日一夜にして滅亡した比企一族のお墓が並んでます
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比企一族の墓前の前には 悲しい歴史とは無縁に
シャガの花が一面に咲き誇っていました
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2代将軍 頼家の側室で 比企能員の娘、若狭局と頼家の嫡男
一幡も若狭局と館に火を放って自害したそうです。
一幡の墓だそうです
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比企一族の墓が並んでます 合掌
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祖師堂横のもみじ
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秋の紅葉は見事でしょう
秋にもう一度訪れたいですね
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物悲しい石仏....古の9月2日の悲劇を哀れむようです
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静寂な世界
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妙本寺 開山の祖 日蓮上人像が比企一族の墓を見守るように建ってます
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本堂と寺務所は祖師堂とは離れた場所に建ってます。
緑の中を進みます
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寺務所で御主題を頂きました
書いて頂いてる間 大学守り というお守りがありました
比企大學三郎能本という名前から 大学守り
持ってると心が和むそうなので
一つ頂きました
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鎌倉の有名寺院に比べると
訪れる人も少ない妙本寺
鎌倉時代に権力闘争で政子の北条氏に
滅ぼされた悲しい物語の舞台となった比企が谷に
今もひっそりと佇んでいます
比企氏(ひきし)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて武蔵国比企郡(現在の埼玉県比企郡と東松山市)を領した藤原秀郷の末裔を称する関東の豪族。
一族である比企尼が源頼朝の乳母を務めた事から、比企氏は早い時期から頼朝を支えた御家人となる。比企氏の家督を継いだ能員が、頼朝の嫡男で鎌倉幕府2代将軍となる頼家の乳母父となった事から、将軍外戚として権勢を強めた。しかし頼家の母方の外戚である北条氏との対立により比企の乱が起こり、一族は滅亡した。
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妙本寺を後に
ぼたもち寺から
政子の墓がある安養院へと続きます

鎌倉時代へタイムスリップ [神社仏閣]

昨日の3日、鎌倉に行ってきました。いや~混みましたね。電車は通勤ラッシュ状態で小田急線、東海道線、横須賀線と乗り継いだのですが一度も座れず立ちつかれました。 特に大船から鎌倉まで乗った横須賀線は超満員で大変でした。 北鎌倉で少し降りましたが鎌倉駅はホ-ムが人で溢れてて改札までなかなか辿り着けませんでした。 18時頃家に戻りましたが 今日の記事鎌倉にしました。


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鎌倉に着いたのは10時すぎでした
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今回は 鎌倉時代に 日蓮上人が 鎌倉で法華宗(のちの日蓮宗)を開いた足跡をたどる旅にしました。鎌倉の材木座近くの松葉ケ谷に草庵を設け鎌倉駅近くの小町周辺で辻説法をしたそうで 小町から松葉ケ谷辺りに日蓮上人に由緒ある日蓮宗のお寺が集まってます。
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日蓮上人ゆかりの地 つじ説法跡
鎌倉には、新時代の仏教を唱える多くの宗教家が現れた。その中でも日蓮上人は、数々の法難にあいながらも屈せず、最後まで民衆の側に見を置いた宗教史上でも稀有な人物た。
日蓮上人は、承久4年(1222)の春、安房国小港の漁師の子として生まれました。12歳の時、安房清澄山で仏道に入りました。その後、鎌倉、比叡山など各地の諸山、諸寺を歴訪し、修行を積み、建長5年(1253)清澄山に戻り、日蓮宗を開きました。しかし法華経が唯一の正しい教えだとして他宗を攻撃・排斥したので、領主に追われました。
建長5年(1253)に鎌倉に入った日蓮上人は、松葉ヶ谷に小さな草庵を建てました。日蓮上人が最初に草庵を結んだ所と伝えられる寺が3っあり、妙法寺、安国論寺、そして長勝寺です。この草庵から日蓮上人は、毎日小町大路の街頭に出て、道行く人々につじ説法を行って法華経の教えを説いていました。当時の鎌倉は地震、暴風雨、干ばつ等で疫病が続発し、恐怖と不安におののく人々を救おうと、つじ説法する日蓮上人の教えは、信者を増やしていきました。文応元年(1260)、日蓮上人は「立正安国論」を著して鎌倉幕府第8代執権・北条時頼に建白しました。天変地異の実状と原因を問答形式で示したもので、邪教の流行が異変の原因と他宗を批判し、治安国家の為、法華経を信仰せよ、でなければ、国難が襲うと警告しました。北条時頼はこれを無視し、弘長元年(1261)、幕府は日蓮上人を捕らえ、伊豆へ配流しました。弘長3年(1263)、伊豆流罪を解かれて鎌倉に戻った日蓮上人は、布教活動を再開しました。幕府に再び立正安国論を差し出し、蒙古来襲を警告しました。文永8年(1271)、再び幕府は日蓮上人を捕らえ、龍ノ口刑場で処刑する事になりました。しかし処刑寸前に、天にわかにかき曇り稲光が起こり、処刑を免れ、佐渡へ配流されました。文永11年(1274)、赦免によって佐渡から戻った日蓮上人は、鎌倉の夷堂に滞在した後、甲斐国の身延山に入って久遠寺を建立し布教を再開しました。その数ヵ月後の、文永の役と弘安4年(1281)の弘安の役の2度にわたる蒙古襲来があり、日蓮上人の予言が的中しました。弘安5年(1282)、日蓮上人は武蔵国池上で病により、60歳で激動の生涯を閉じました。日蓮上人の思想の根底に流れていたもの、それは、社会に対する飽くなき挑戦だったのではないかと言われる。今、日蓮上人は鎌倉の至る所にその布教の足跡を残しています。ここでは、そのゆかりの地を訪ねます。(鎌倉観光ポ-タルサイトより抜粋)
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立正安国論で他宗派を攻撃し法華宗が唯一の宗教と唱えた為 他宗派から反感をかって
松葉ケ谷の草庵は焼き討ちされたそうです。 いつの時代も他を批判するのは反感を買いますね
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日蓮上人つじ説法跡から歩いて 5分ほどの場所に 本覚寺があります
本覚寺は、日出上人を開山として永亨八年(1436)に創建されました。
足利持氏が鎌倉の夷堂があった場所に寺を建てて日出上人に寄進した寺院です。
       文永11年(1274)に佐渡流罪を解かれ鎌倉に戻った日蓮上人は、この夷堂に滞在して布教を再開しました。その後、甲斐国の身延山に入って久遠寺を建立し本核的に日蓮宗の布教を行いた本覚寺分骨堂には、身延山から分骨した日蓮上人の分骨が納められてます。本尊は釈迦三尊
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門前には茶屋があります
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日蓮宗のお寺には 南無妙法蓮華経 と書かれたお題目の石柱が立ってるところが多いです
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立派な仁王様がお寺を守ってます
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日蓮上人の御廟所は身延の地にありますが
分骨がここ 本覚寺にあるので 東身延 の別称が与えられ本山となってます
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本堂です
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日蓮上人分骨堂
日蓮上人の墓がある身延山から分骨された遺骨が安置されている
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ちょっと変わった屋根の形の 夷堂
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境内の 夷堂 は商売の神様で
財産の神だそうです
財産が増えるように にぎり福 を頂きました
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名刀正宗の墓
正宗(まさむね、生没年不詳)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期に鎌倉で活動した刀工。日本刀剣史上もっとも著名な刀工の一人。多くの弟子を育成した。正宗の人物およびその作った刀についてはさまざまな逸話や伝説が残され、講談などでも取り上げられている。「正宗」の名は日本刀の代名詞ともなっており、その作風は後世の刀工に多大な影響を与えた。
この2つのどちらかが 正宗の墓のようです
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この辺り 人力車で神社仏閣を廻る
女性の姿が多いですね。
この跡 比企一族ゆかりの 妙本寺に向かいました
話し変わって
昨日は18000歩を歩きました
材木座の国宝 光明寺に行く計画してたんですが
長勝寺まで行ったんですが
上り坂がきつく断念
来年の桜の季節に行く事にして
鎌倉駅に戻りました
後に続きます

伊豆韮山 本立寺 [神社仏閣]

昨日 会社の帰りに家庭菜園に寄り道して ジャガイモの株を1株2~3本に間引きしました。 そおすることでジャガイモの粒が大きくなるそうです。畑仕事を終えてから ホ-ムセンタ-に寄って今日植え付ける スイカ2株、枝豆3株 トウモロコシ2株、キュウリ2株、サニ-レタス2株を買いました。サニ-レタスは家のプランタ-に植え付けました。すぐ大きくなるので食べたいときに採って食べれるので野菜専用プランタ-に植え込んでおくと便利ですよ。


今日の記事は 伊豆韮山に行った時、ブロガ-の馬爺さんから教えて頂き訪れた 江川太郎左衛門の江川家菩提寺の 日蓮宗本山 本立寺 になります。


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韮山 江川邸から 田んぼを挟んで 向かいの山すそに 本立寺 は建ってます。
江川邸からも望むことが出来る位置にあります。
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正式名称は 日蓮宗本山 大成山 本立寺 と表し
山門には 大成山 の扁額が掲げられてます
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訪れた4月13日は桜が見ごろで
山門周辺の桜が見事でした。
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本立寺の言われによると 1261年(弘長元年)、伊豆(伊東)に流されていた日蓮が、十六代当主江川太郎左衛門英親に招かれ教化を行ったところとされ、英親は身延山へ登り日蓮より「日久」の法号を授けられた のちの1506年(永正3年)、二十四代当主英盛が江川邸内にあった大乗庵を移し本立寺が建立されている
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石段の先を上りきった所に本堂が見えます
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幕府の韮山反射炉を作った 江川英龍像
三十六代英龍も ここ本立寺に眠っています
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本立寺の鐘楼には、鎌倉の東慶寺にあった梵鐘が吊されているそうです
由来は諸説あって 鎌倉幕府滅亡後、東慶寺の覚海円成が伊豆の国に移っていることから、本立寺に移されたと言われているそうです
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鎌倉時代に、日蓮上人を江川家に数日お迎えして、自筆の火伏の棟札(むなふだ)をいただいているのです。そのご利益により、江川家は、以来700年以上火事などに遭わずに保たれているのだと・・・・火伏のお守りなんです(Hpより抜粋)
我が家のお宝の巻物は この火伏の棟札と同じ内容の物でした。 江川家は代官として幕府直該地の相模や武蔵をも収めていたので火除けのお守りとして直該地の民衆に与えたと推測されます
我が家は 相模の国で日蓮宗本照寺の檀家でしたから この火伏のお守りが有っても不思議ではないですね、江川邸を訪ねて我が家の家宝の由来が判りました
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桜も盛りを過ぎて 葉が出初めてますね
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もみじの新芽も芽吹いたました
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江川太郎左衛門像の前から 山門を振り返りました
鎌倉時代にさかのぼる
ロマンの里
北条氏と鎌倉幕府の
礎になった地に
思いを馳せた
旅になりました
この後
頼朝と政子のロマンの地
蛭が小島に
向かいました
後に続きます

靖国神社に行ってきました。 [神社仏閣]

昨日は温かいというより暑い位の一日になりました。 暑くなったり寒くなったりと乱高下が激しいので体調管理が大変ですね。週末もおおむね20℃位で推移するようです。 

さて今日の記事は 千鳥ヶ淵の桜を観に行った時に立ち寄った靖国神社の写真になります

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地下鉄半蔵門線のラッピング車両 クレヨンしんちゃんが可愛く描かれてました

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九段下で降りると 立錐の余地がないほどの混雑でした

武道館で某大学の入学式が行われていた為でした。

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ちょうど昼時でしたので グルナビでチェックしてたお店で食事をしました。

僕が食べたのは 和風ハンバ-グに大きな鳥の唐揚げが2つも付いたランチ

ハンバ-クより鳥の唐揚げの方がボリュ-ムありました(笑)

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靖国神社前の靖国通りも両側の桜が満開で見事でした。

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靖国神社神門から 拝殿方向です

いつ行っても人が多いですね

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神門をくぐって 右手に 東京の桜(ソメイヨシノ)の標準木があります。

この標準木が5~6輪咲いたら開花宣言がでます。 8割咲いたら満開宣言が出るそうです

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 中門鳥居から 拝殿です

一般の人はこの拝殿でお参りをしますね

靖国神社 A級戦犯も祀られている事でとかく韓国や中国から非難の的になりますが

アジア系や欧米系の外人の参拝も多いですね

特にC国の人は声が大きくうるさいのですぐ解ります(笑)

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中門鳥居から 神門を振り返って見ました

凄い人出ですね~

少し並んで 拝殿でお参りを済ませました

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靖国神社の桜はあまり撮りませんでした

向かった先は ゼロ戦が展示されてる 遊就館です

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第二次世界大戦中に海軍の艦上攻撃機として三菱重工で作られた。

正式名称は 零式艦上戦闘機と呼び高性能な戦闘機として 米英の連合国軍からゼロファイタ-

として恐れられていた。 1万機が三菱と中島飛行機で生産され戦争末期は特攻機として利用された

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二度と悲惨な戦争は繰り返さないとの平和国家で

負の遺産となった零戦、戦後はこの技術力で経済発展の礎にもなりました。

何しろ飛行機を作れる国は世界中でも限られた一握りの国だけですからね。

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尊い命を戦争で犠牲にして国の為に散った御霊を祭る靖国神社
今、平和で楽しく暮らしていれるのも
と考えると
頭が下がる思いがします
いつまでも平和な国で有り続けてほしいものです
今日の記事で千鳥ヶ淵の桜の記事は終わりです

片瀬江の島 寂光山 龍口寺 [神社仏閣]

先週土曜日の孫誕生の記事に沢山のお祝いコメを頂きありがとうございます。 男の孫はがり3人となりました。3人目は女の子の孫ちゃんをと思ってましたが、中々可愛いの女の子の孫ちゃんには恵まれません。さて今日の記事は 神社仏閣の記事になります。 今年は 日蓮宗の本山巡りをしてるんですが今回は神奈川県藤沢市片瀬にある 日蓮宗霊跡本山 寂光山 龍口寺の記事になります。

龍口寺縁起  日蓮聖人(1222~1282)がご入滅(死去)された後、直弟子の日法聖人が、延元二年(1337)に「龍ノ口法難の霊跡」として、一堂を建立し、自作の日蓮聖人像と、首の座の敷皮石を安置したのが、寂光山龍口寺の始まりです    鎌倉の古寺をひかえ、湘南海岸や江ノ島などの観光名所が随所にあるこの龍ノ口は、鎌倉時代、罪人を斬首する刑場でした。日蓮聖人は、『立正安国論』を鎌倉幕府に奏上したことが、貞永式目の「悪口の咎」にあたるとして、市中引き回しの上、この地で斬首されそうになりました。その刑場跡に立てられたのが、龍口寺です。(龍口寺HPより抜粋)

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江ノ電が 江の島駅を出て 路面電車 になる最初の出口付近に 龍口寺が建ってます

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道路からすぐ仁王門が建ってます 

龍ノ口法難 : 鎌倉時代後期、日本は内乱や蒙古襲来、飢餓や疫病の蔓延など、様々な脅威に包まれていました。それらを憂えた日蓮聖人(1222~1282)は、『立正安国論』を著し、幕府に奏上しました。
 しかし、幕府はこれを政策への中傷であると受け止め、文永8年(1272)9月12日、鎌倉松葉谷の草庵におられた日蓮聖人を捕らえ、斬首するために、刑場であったこの地、龍ノ口へ連行したのです。
 翌13日子丑の刻(午前2時前後)、土牢から引き出された日蓮聖人は、敷皮石(座布団状の石に皮を敷く)に坐らされ、評定の使者も待たず、あわや斬首になるときでした。
 「江ノ島の方より満月のような光ものが飛び来たって首斬り役人の目がくらみ、畏れおののき倒れ」(日蓮聖人の手紙より)、斬首の刑は中止となりました。
 龍ノ口刑場で処刑中止となったのは日蓮聖人をおいておらず、爾来、この出来事を「龍ノ口法難」と呼び習わしています(龍口寺HPより抜粋)  入り口の仁王門の左手が 龍ノ口刑場跡 となってます

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仁王門 から続く石段の上に山門が見えます

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さすが本山だけあって立派な佇まいです

扁額には龍口寺と書かれてます

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山門から奥に続く敷き石の奥、石段で小高くなった場所に 本堂 が望まれます
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山門に掲げらていた壁画です
何かの故事を表現した彫刻みたいです
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山門をくぐって 右手に石段が見えます
登って行くと 書院が建ってます
ちょうど 赤い服を着た女性が石段を登っていたので 後姿を撮らせて頂きました
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屋根のかわらが造形的に見えたので、書院の屋根を撮りました
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石段の下から見上げた 本堂です
奥に 五重の搭が見えます
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本堂の横には 椿の木の中に 日蓮上人の像が立ってます
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本堂でお参りを済ませ
龍口寺の 御主題 を頂きました
御朱印も頂けるんですが 御主題 は日蓮宗のお経の一節 南無妙法蓮華経 と書かれ
御朱印より功徳が得られると言われてます。
この御主題を頂くのには 日蓮宗だけの御朱印帖でないと 書いて頂けないんですよ
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五重塔 の上の部分です
ここの五重塔 木や建物が邪魔して この部分しか撮れませんでした
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お参りを済ませ
山を下りて
上から見た 仁王門です
話し変わって
TVで カタクリの花が 雪の中から芽を出した内容の番組をみました。
先週の土曜日、 テニスの帰りに
前に住んでいた公園の中にカタクリが植えられた場所があるので
カメラを持って出かけてみました。
咲いてましたよ
番組の中で カタクリの事
森の妖精って言ってました
明日の記事は
森の妖精にしますのでお楽しみに

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